tebasakiuziyasuのブログ

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古典 人物紹介


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こんちゃす 久しぶりです!

てばさきです(*´∀`*)ノ

 

夏とは思えない とても涼しく

これもまた秋の顔を見せつつある

今日この頃の陽気。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

今日 ふと、ネットで 恋を題材にした

ドラマがやるということを目にし、

またこれかと 物思いにふけっていました。

最近の 恋のドラマないし歌というものは

なにか薄っぺらさを感じます。(中にはとても良いものもある)

 

そして思い立った。

昔の日本人はどのような恋をしてったのか。

よし、調べよう。こんな流れで。

 

第1回 「藤原道雅

彼は 中関白家 藤原道隆の孫 伊周の息子です。

彼が 元服した頃には藤原道隆はこの世にはいなく、また、父伊周も藤原道長の政変に巻き込まれ 道雅は権力を振るうことはありませんでした。

そんな中、彼はある女性と出会う。

その女性はなんと 時の天皇 三条天皇の娘

当子内親王である。

彼らは共に恋に落ちるが、身分の差、

そして、道雅に関しては 落ちぶれた貴族の家柄。

そして、当子内親王斎宮という天皇の娘から選ばれる役職に付いてますが、

この役職ついたあとの

生涯結婚することは余程のことがない限り

許されない。何とも女にとっては悲しい

役職なのです。

 

そんな中 彼らは禁断の恋に走る。

 

全部言ったらつまらなくなるからね。

そろそろおしまい。

 

この話が収録されている

アニメが下のURL先にありますので

良かったら見てみて下さい!

 

もちろん、かなり話に色々付け足しはされてますが、この恋は歴史的には存在したので、昔の日本にはこんな恋話があったのだと、

そういう事実を確認してくれるだけでも嬉しいです!

今日はここまで!(`・ω・´)

 

http://utakoi.jp

中国とアラブがわかる世界史:漫画 必見!!





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こんちゃす(*´∀`*)ノ

てばさきです(^ω^)

 

今日は突然の雹?が降ってきました。

私は室内にいたので被害にはあってませんが、みなさんはどうでしたか?

友達は 雹が足に直撃して

とても痛かったと言ってました(´д`)

 

今日はマンガです。

「中国とアラブがわかる世界史」です。

この作品はマンガで アラブ 世界史が解っちゃうとてもお得なものです。

世界史で中国とアラブ圏はとてもゴチャゴチャしてるので こういう本があるととても助かりますね(^ω^)

私もこの本を読んでみました。

時間は1時間位で読み終わりました。

こんな短時間で 中国とアラブのことが分かっていいのかと 驚いております。

 

人間化+可愛い という

日本のサブカルチャーを彷彿とさせる

この作品。


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非常に 国々に親しみを持って 学ぶことが出来るので とてもgoodです!

 

では今回はこの辺で

次の投稿であいましょう!

ではヾ(ω` )/

まだ読んだことないけど 読みたいと思っている本①


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みなさんこんちゃす(*´∀`*)ノてばさきです(^ω^)

久々の投稿ですが、今日は趣向を変えて

読んだことないけど ただただ面白そうな本を紹介します。

 

 

「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら:神田圭一 菊池良 著 宝島社」です。

 

以前にも2ちゃんねるのまとめで村上春樹がもし〇〇を書いたらというスレが上がったましたが、今回は カップ焼きそばの作り方に焦点を当て 様々な文豪たちが作り方を書いたらこうなりそうという If作品ということになりますね!

 

以前見た2ちゃんねるスレで、こういう系 もっと見たい!と思っていたので、とてもこの作品は読みたいと思ってます!

この作品で様々な文豪の文体が

わかるのかも知れませんw

個人的には三島由紀夫が気になりますw

 

では今日はこの辺にしときます。

次の投稿であいましょう!

ではヾ(ω` )/

 

 

彡(゚)(゚)で覚える応仁の乱⑤+α

こんちゃす(*´∀`*)ノ

てばさきです(^ω^)

なんか以前もこのブログで同じこと言った記憶があるんですが、暑くないですかw?

クーラーを付けっぱなしにして ダラダラ過ごす。自分でもマズいとは思ってるんですが…

この暑さではどうも体が動きませんw

 

とりあえず水曜日なので応仁の乱ですが、

なんかゴチャゴチャしてるので、

いままでの簡単なあらすじです。

 

 

~あらすじ~

将軍義政が即位した頃は 室町幕府の将軍の権力は父 将軍義教の時代よりは弱く、周りの守護大名もやりたい放題なところもあった。

義政は幕府の力を強めようと、様々な政策や、各地の武士のお家騒動に介入するが尽く失敗。財政も少なく 踏んだり蹴ったり。

そんななか 例によって義政が介入した畠山氏の内紛が。

 

 

とりあえず 畠山氏は畠山義就畠山政長に分かれます。この二者に、様々な立場の人たちが 仲間になります。

 

( º дº)←畠山義就には

(゚д゚ )←山名宗全、(°∀° )←斯波義廉が付き

 

(^p^)←畠山政長には

(`・ω・´)←細川勝元が後見となります。

 

斯波家も畠山家と同様に斯波義敏と斯波義廉に分裂してます。

 

彡(゚)(゚)←足利義政の家もお家騒動です。

長らく男子に恵まれなかった義政は弟に将軍を譲ろうとします。弟はお坊さんで、

政界に戻ることはしたくないと辞退をしますが、度重なる兄の義政の申し出で 還俗(お坊さんをやめる)して許諾をします。

しかし、その最中 義政に子供が生まれます。

妻の日野富子は どうしても自分の子供を将軍にしたいと主張します。一方そのことを義視に言うと 激怒。

 

( `益゜)←足利義視「せっかく還俗してきたのにそれはないだろ!」

 

まぁ、義視もやむを得ず将軍になることを引き受けたので 怒るのも無理はないです。

これにより将軍後継者争いが勃発します。

ちなみに、例の畠山家も同じような理由で後継者争いをしてます。

 

とりあえず、今までのあらすじをまとめました。

今日はこのくらいに、

それでは次の投稿であいましょう!

ではヾ(ω` )/

 

http://tebasakiuziyasu.hatenadiary.jp/entry/2017/06/24/182329

彡(゚)(゚)で覚える応仁の乱


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彡(゚)(゚)で覚える応仁の乱 ⑤


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みなさんこんちゃす(*´∀`*)ノ

てばさきです(^ω^)

不定期投稿宣言後、初の投稿です。

まだ全然終わってない応仁の乱:;*1;:

なんとか終わらせよう。

 

~前回のあらすじ~

足利義視が還俗し、時期将軍は決まったかに見えたが、義政と富子の間に義尚が生まれ、

後継者争いの予感。

 

彡()()←足利義政「うっ、こんなつもりじゃなかったのに…義視恨まんといてな…」

伊勢貞親・季瓊真蘂「将軍が弱ってる…チャンスや…」

伊勢貞親「つい先日 追放されて赦免された斯波義敏はわいの親戚や。正式に斯波家の家督にしてもらうように義政に言おw」

 

伊勢貞親「将軍さん、斯波義…」

彡()()「ええで」

伊勢貞親「やったで。」(1466年)

 

足利義政の側近「とりあえず、義視が邪魔になったな…謀反の罪着せて 殺しちゃおwww」

 

( `益゜)←足利義視「あかん」

 

(゚д゚ )←山名宗全・一色義直・土岐成頼・他義視派「流石にそりゃやりすぎ」

 

(`・ω・´)←細川勝元山名宗全は意見が合わないが、こればかりは山名宗全の言う通り。当の義視もワイを頼ってきたことやし。ワイも義視派になるで。」

 

彡()()「義視ー!加担したものはみんな追放」

 

(^ω^)←斯波義敏・伊勢貞親・季瓊真蘂・赤松政則「追放されたンゴwww」(同年)

 

1466年に伊勢貞親は1463年に赦免された斯波義敏を、斯波家家督にしようと画策。

義政は斯波義敏を斯波家家督に認める。

その後、義政側近が義視に無実の罪を着せて

誅殺しようと画策。

義視は細川勝元を頼り 細川勝元は義視の後見となる。多数の大名も義視を後見し、

義政は義視暗殺を画策したメンバーを尽く追放した。その中には前日斯波家の家督になったばかりの斯波義敏もおり、斯波義敏はわずか2ヶ月で家督を変えさせられた。斯波義廉が再度家督を相続。義政の側近がこのような事件を起こしたこともあり、さらに幕府の信用は落ちた。

 

( º дº)←畠山義就「出陣じゃー!」(1466年12月)

 

彡(゚)(゚)←足利義政「ファ!?いきなりなんだ!もう戦争は懲り懲りや。畠山家の家督に認めるから手を引いてくれや。」

 

(`・ω・´)←細川勝元(^p^)←畠山政長「勝手に決めるなよ!」

 

(`・ω・´)「これは、義政に直訴するしかない…義政の家を占拠して、畠山義就を倒すように命令を出させよう。」

 

(*^O^*)←日野富子「情報が漏れてるんだ!山名宗全さん!細川勝元さんが、よからぬ事を!」

 

(゚д゚ )←山名宗全「なんやて!?(これは逆に細川勝元畠山政長を追放するチャンスや!)義政はん!これはこいつら追放せなあかんで!」

 

彡(゚)(゚)「んー、細川勝元は追放すると 幕府にも大きな痛手…畠山政長だけならええで。ただ条件として、これは畠山家の家督争いやから、他の家は口出しNGやで」

 

周りの人達(お前さんざん、他の家に口出した結果がこれなんだよなぁ…)

 

1466年 12月 突如畠山義就が挙兵。

足利義政畠山義就の挙兵の対応として、

当時管領畠山政長細川勝元の許可なしに、室町亭(義政の家)に招く。

1467年にこの挙兵のおとしまえとして、

義政は畠山義就を畠山家の家督に任命する。

これに怒った畠山政長管領を辞職。

畠山政長派の細川勝元は将軍義政に直訴しようと将軍邸を占拠しようと企むが、日野富子がそれを察知し、山名宗全に漏らし計画は頓挫。山名宗全細川勝元畠山政長追放のチャンスとばかりに将軍に直訴。

細川勝元追放はならなかったものの、畠山家の家督争いは戦で決着をつけることと決まった。

 

(^p^)←畠山政長「いくさじゃー!www」

( º дº)←畠山義就「いくさじゃーwww」

 

(゚д゚ )←山名宗全・(°∀° )←斯波義廉

・(;´∀`)←朝倉孝景「戦…来ちゃった♡」

 

(^p^)「ファ!?加勢しないはずやろ!」

 

一方細川勝元は、

(`・ω・´)「わたしは、将軍の命令により、援軍は出しません。」

 

世の人「仲間が戦ってるのに…細川勝元は本当にダメやな」

 

(´・ω・`)←細川勝元「えぇ…」

  

畠山家の戦が遂に始まった。

将軍の命令どおり 援軍は禁止であったが、

山名宗全らは密かに援軍をおくる。

これに対し、真面目なおりこうさんの細川勝元は、援軍を出さなかったが、周りの人は、山名宗全が援軍を出してるのに、お前は出さないのかよ。と非難を浴びる。可哀想。

ちなみに、畠山義就についた朝倉孝景は、

分国法 朝倉孝景条々を作った、あの朝倉孝景である。

 

今日はこの辺にしときます!

次いつ投稿になるかな?わかりませんが!

次の投稿であいましょう!ではヾ(ω` )/

*1:°ө°

不定期投稿宣言

こんちゃす(*´∀`*)ノ

てばさきです(^ω^)

 

昨日投稿できまへんでしたw

最近忙しくなってきたためです。

いままで1日一投稿でしたが、これからは

不定期投稿にします。

3日に1回くらいのペースでですかね?

毎日見てくれてる方、今後ともよろしくお願いしますm(*_ _)m

では次の投稿で会いましょう

ではヾ(ω` )/

 

 

彡(゚)(゚)で覚える「応仁の乱」④


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こんちゃす!てばさきです(^ω^)

 

つい先日 都議選が行われましたね。

私はその都議選の結果を今日見たんですが…

自民党ボロ負けですねwww

大臣の失言やら何ならで、自民党も支持率が下がってましたし、当然の結果かも知れませんねw

 

本題に戻りますが、

昨日の予告通り今日は彡(゚)(゚)で覚える応仁の乱です!

 

前回の続き、

幕府が様々なお家騒動に介入、結果はよりお家騒動が加熱し、失敗。

罰してたものを、次々と赦免。

これにより幕府の支持率は低迷。

 

(`・ω・´)←細川勝元「嘉吉の変で赤松家はボロボロになったが、復活させて上げるで!」

(嘉吉の変で、赤松家の旧領の一部を山名宗全が治めてるな…

勢力削減しなくちゃ(使命感))

 

(゚д゚ )←山名宗全「それはだめや!」

(せっかく嘉吉の変で、手に入れた領地を手放すわけにはいかん!)

 

(`・ω・´)「赤松政則召喚!」

 

赤松政則「よろしくニキーwwwまずは加賀守護しますンゴw」

 

(゚д゚ )「ゆるさん…ゆるさんぞ…」

(守護職ついたら時期に 播磨も赤松に取られるで…)

 

(`・ω・´)「そんなに歯向かうなら、俺の養子(山名宗全の息子)を細川から追い出すで!」

 

細川豊久(山名豊久)「廃嫡されたンゴwww」

 

細川勝元勢力を伸ばしつつある山名宗全を危険視し、山名宗全の対抗勢力として、赤松氏を山名宗全同意なしに、再興させる。

それに怒った山名宗全に対して細川勝元

山名宗全の息子を自分の養子にしていたが、

それを廃嫡する措置を取った。

これが応仁の乱で両者が対立する引き金となるのである。

 

 

一方幕府では…

 

彡(゚)(゚)「もう政治政治って…わいはもう疲れたンゴ…」

 

このころ足利義政は 長い戦、政争に疲れ果てていた。

 

彡(゚)(゚)「わいは妻の富子の間に子宝も恵まれないし、後継は仏門に入った弟に譲るでて…」

 

( `益゜)←義尋(後の足利義視)「長いこと将軍職を断り続けたが、兄の願ってのない頼みだ…引き受けよう。」(1464年)

 

(*^O^*)←日野富子「うまれるぅ!」

 

(^o^)←足利義尚「うまれたニキーwww」(1465年)

 

(*^O^*)「ぼくがお腹痛めた子なんだ!将軍は足利義尚にさせたいんだ!」

 

彡(゚)(゚)「せやなぁ…じゃあ息子の義尚にすr…」

 

( `益゜)「なんや!俺にあんだけ頼んで それはないやろ!還俗までしたんやど!ふざんけんな!」

 

彡()()「」

 

足利義政は男子に恵まれず、弟の義視にあとを継がせようとした。再三の嘆願に義視も折れ 還俗して将軍になること決めた。しかし、その翌年に息子義尚が生まれた。日野富子は自分の息子に将軍を継がせたい。

弟の義視 息子の義尚の板挟みに義政はあうのである。

ここで後継者争い、すなわち応仁の乱の火種は切って落とされたのである。

 

今日はここまで!

すみません!応仁の乱の戦に入ると思いきや。入りませんでした。すみません!

 

ではここで終わり!

ではみなさんさいならーヾ(ω` )/