tebasakiuziyasuのブログ

主の趣味垂れ流し

「夜十夜」 夏目漱石


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みなさんこんちゃす!(*´∀`*)ノ

てばさきです(^ω^)

今日はもう金曜日 時が経つのが早く感じます。 1日1日大切に過ごさないと、時が私を勝手に置いていっしまうように感じます。

 

今日 紹介作品は 夏目漱石の「夢十夜」です。

この話は 一言では説明しづらいです。

とりあえず、話は第一夜~第十夜の10に分かれてます。

 

要約と言うよりも 各話の 特色を述べます。

 

「第一夜」

男性と女性の語りや、その状況を 細かく描いています。ここでは 女性に対して 男性の純愛を描いているのかも知れませんが、漱石の小説の特色として、必ず 女性に対する男性の恋心はほとんどと言っていいほど、必ず 小説に組み込む癖のようなものがあります。

その女性はこれから死ぬのだという。

死んでから100年後に会おうと言われる。

男は100年待とうとする。

 

「第二夜」

この話では 和尚と侍が出てきます。

中の話に臨済宗の「公案」じみた表現があります。

禅宗の思想が垣間見えます。

 

「第三夜」

ここでは、罪の意識というものを意識するような作品です。

背負っている盲目な子供と話すに従って 男は

段々と不安に感じてきます。

盲目の子供は100年前にお前に殺されたと男に告白します。

 

「第四夜」

爺さんが 幻術のようなものを見せようとする話。結局は何も起こらないが、老人の仙人的振る舞いに ある男は見とれてしまう。

 

「第五夜」

ここでは、この話の主人公の男が、

戦で、捕虜になります。

敵の総大将に、死ぬ前に好きだった女性に会いたいと懇願します。

結局、男は好きだった女性に会うことを許されます。

 

「第六夜」

運慶(鎌倉時代に活躍)が護国寺(江戸時代のお寺)で仁王を掘っているという話を聞き 護国寺に人が集まるが、集まっている人はみな、明治時代の服装をしているという矛盾した話。

 

「第七夜」

西へ西へ行く船に乗っているときの話。

西へ西へ それは西洋に向かっている。

つまり、その船は当時の日本を表している。

つまり、日本の近代化について話している。

途中で主人公は 船から飛び降りるが、

西洋化からの脱却。

船から飛び降りた(脱却をした)途端、脱却しなければ良かったという後悔が起こる。

つまり、時代の流れに逆らえないという意味も込められてるのかもしれない。

漱石自身も 当時、明治の文明開化を急ぐ 社会風潮に疑問を呈しており、

その思想がこの話も入っている。

 

「第八夜」

床屋で髪を切っているとき、

目の前にある鏡に、自分の後ろで起こっている出来事を見ているという話。

この話は、少し自分は読み解けませんでした(´・ω・`)

 

「第九夜」

子供と母親が、家を出ていった母親の夫の安否を祈る話。

母親は、御百度参りを行い

神に祈る。

 

「第十夜」

西洋かぶれで、いつもパナマ帽子をかぶっていて、女を見ることと水菓子屋をいつも見ていることが好きな男、名は庄太郎があるとき、ある女性が、水菓子を買っている姿に見とれる。

買った水菓子が大きいこともあり、

女性の自宅まで水菓子を持っていくと 庄太郎は買って出た。

しかし、ついて行った先は崖で 女性はこっから飛び降りろと言う。それが嫌なら豚に舐められろと。

庄太郎は後ろを見ると豚が列をなして男を舐めようとする。

6日間抵抗してたが、

最終的には舐められる。

最後に庄太郎のパナマ帽子を健さんが、

欲しいと言い、パナマ帽子は健さんのものになる。

この話は少しわからなかったので、調べてみましたところ、少し聖書の話が入ってるらしいです。つまり、庄太郎は西洋化の被害者になったということです。

健さんが最後にパナマ帽子(西洋の象徴)を貰い受けるところで 健さんもまた、西洋化の被害者になるのです。

 

これで終わりです。

この作品はオムニバス形式です。

しかし、ところどころのキーワードで話が繋がっているところもあります。例えば「第一夜」と「第三夜」の100年の部分。

今回の話はとてつもなく難度が高いと思います。漱石の信仰してたもの、+突然の西洋化批判の垣間見がこの作品に色よく描かれています。漱石以外にも急速な西洋化批判の作家も何人かいますので、その人の作品を読むと、なるほど、明治時代とはこういう事かと分かるようになります。

夏目漱石の「こころ」「吾輩は猫である

より断然難しいと思いますw

 

では次回会いましょう!ではヾ(ω` )/