「親鸞聖人について」 吉川英治
みなさんこんちゃす(*´∀`*)ノ
てばさきです(^ω^)
今日、九州のほうで台風が上陸したようです。ついに、台風シーズンの到来ですね。
台風は嫌いです。外に出るのにも億劫になるし、作物も時としてダメになります。
適度な雨が好ましいものです。
これは小説ではなく、ある場所で講演したときの原稿をそのまま書いたものなので、かなりわかりやすいかも知れませんね。
まぁ、題材は少し難しいですが。
吉川英治と言えば、「三国志」が有名ですね。江戸時代から日本人は三国志が好きでしたが、この人の登場で現代人の三国志愛を決定的にしましたね。
私も無論 三国志は好きです。
この講演は吉川英治の親鸞についての考えです。親鸞といえば、浄土真宗の開祖でもあります。
親鸞以前の仏教は 基本的に性交渉はNGでしたが、この人から、場合によってはOKとなりました。
その理由は、あるとき、彼の夢の中に聖徳太子が現れたそうです。
(´・ω・`)「おっす!オラ聖徳太子!」
彡(゚)(゚)「はっ!…夢か…」
彡(゚)(゚)「ふと思ったが、聖徳太子は妻沢山子沢山。しかし、彼は仏教大好き人間… 仏教の教え通りに行けば姦淫はNG…」
彡(^)(^)「せや!聖徳太子が良いならわいも尚更や!」
彼は悟ったようです。
そして、
彡(゚)(゚)「わいですら煩悩を持つ悪人や。
世の中に善人は皆無や。」
彡(^)(^)「せや!むしろ悪人の方が救われるんとちゃうか?善人はブッタがあの世に連れていき、悪人は阿弥陀があの世に連れていくという解釈でええやろ!」
世にいう「悪人正機説」ですね。
断っときますが、ここで言う悪人とは、
犯罪を犯す人のことではなく、
煩悩を持つ人のことです。
親鸞はこの点、自分でも理解してたのでしょう。
この世に煩悩を持たない人はいない。
そういう人は善人と言い 極楽浄土に行ける。
ならなおさら悪人は極楽浄土へ行けるだろう。と、したのです。
そして、旧仏教は、仏像作り寺院造りでしたので、庶民には到底縁がない。
南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。
だから、庶民にも広まったんですね。
吉川英治は、このような切り口から、親鸞を批評し、あるいはこれを例に挙げ、現代の(言っても 昭和のときですが。)日本のあり方を批判しています。
この人の批評はとても的を射ていて面白いです(^ω^)
とりあえず今日はこの辺にしときます。
私事ですが、いままで、歴史は土日にしか投稿してなかったですが、水曜日も歴史枠にします!すみませんm(_ _)m
つまり明日は応仁の乱の続きです(^ω^)
では次回の投稿で会いましょう!
ではヾ(ω` )/