彡(゚)(゚)で覚える「応仁の乱」④
こんちゃす!てばさきです(^ω^)
つい先日 都議選が行われましたね。
私はその都議選の結果を今日見たんですが…
自民党ボロ負けですねwww
大臣の失言やら何ならで、自民党も支持率が下がってましたし、当然の結果かも知れませんねw
本題に戻りますが、
昨日の予告通り今日は彡(゚)(゚)で覚える応仁の乱です!
前回の続き、
幕府が様々なお家騒動に介入、結果はよりお家騒動が加熱し、失敗。
罰してたものを、次々と赦免。
これにより幕府の支持率は低迷。
(`・ω・´)←細川勝元「嘉吉の変で赤松家はボロボロになったが、復活させて上げるで!」
(嘉吉の変で、赤松家の旧領の一部を山名宗全が治めてるな…
勢力削減しなくちゃ(使命感))
(゚д゚ )←山名宗全「それはだめや!」
(せっかく嘉吉の変で、手に入れた領地を手放すわけにはいかん!)
(`・ω・´)「赤松政則召喚!」
赤松政則「よろしくニキーwwwまずは加賀守護しますンゴw」
(゚д゚ )「ゆるさん…ゆるさんぞ…」
(守護職ついたら時期に 播磨も赤松に取られるで…)
(`・ω・´)「そんなに歯向かうなら、俺の養子(山名宗全の息子)を細川から追い出すで!」
細川豊久(山名豊久)「廃嫡されたンゴwww」
細川勝元は勢力を伸ばしつつある山名宗全を危険視し、山名宗全の対抗勢力として、赤松氏を山名宗全同意なしに、再興させる。
山名宗全の息子を自分の養子にしていたが、
それを廃嫡する措置を取った。
これが応仁の乱で両者が対立する引き金となるのである。
一方幕府では…
彡(゚)(゚)「もう政治政治って…わいはもう疲れたンゴ…」
このころ足利義政は 長い戦、政争に疲れ果てていた。
彡(゚)(゚)「わいは妻の富子の間に子宝も恵まれないし、後継は仏門に入った弟に譲るでて…」
( `益゜)←義尋(後の足利義視)「長いこと将軍職を断り続けたが、兄の願ってのない頼みだ…引き受けよう。」(1464年)
(*^O^*)←日野富子「うまれるぅ!」
(^o^)←足利義尚「うまれたニキーwww」(1465年)
(*^O^*)「ぼくがお腹痛めた子なんだ!将軍は足利義尚にさせたいんだ!」
彡(゚)(゚)「せやなぁ…じゃあ息子の義尚にすr…」
( `益゜)「なんや!俺にあんだけ頼んで それはないやろ!還俗までしたんやど!ふざんけんな!」
彡()()「」
足利義政は男子に恵まれず、弟の義視にあとを継がせようとした。再三の嘆願に義視も折れ 還俗して将軍になること決めた。しかし、その翌年に息子義尚が生まれた。日野富子は自分の息子に将軍を継がせたい。
弟の義視 息子の義尚の板挟みに義政はあうのである。
ここで後継者争い、すなわち応仁の乱の火種は切って落とされたのである。
今日はここまで!
すみません!応仁の乱の戦に入ると思いきや。入りませんでした。すみません!
ではここで終わり!
ではみなさんさいならーヾ(ω` )/